医薬品の研究や、化粧品会社にて亜麻仁油の製品開発に携わる等、多彩な経歴を持つ。2001年に久司道夫氏からマクロビオティックを学び、食の大切さを強く認識。
杏林アカデミーで学びを深め、2015年に『食と生活文化研究所 Wellness Design Laboratory』を設立。ご自身が長期間のファスティングで持病の頭痛を克服した
経験があり、世に広く広めることを目標としている。
以前の勤務先(化粧品会社)で山田先生の講義を聴いてから…だったかと思います。杏林アカデミーを受けたのが先だったかな?…定かではありませんが、とりあえず受講してみて、今までくすぶっていたモヤモヤが取れていく感覚がありました。特に油に関するお話しは、会社の食品部門で脂肪酸のバランスを整える商品を作るために、北海道で亜麻の栽培をし、亜麻仁油の製品化に携わっていた私にとってはなにより衝撃的でした。
化粧品会社ですので、お客様のほとんどが女性なのですが、お肌の悩みとしてアトピーやアレルギーの方が本当に多くいらっしゃいました。
その症状を緩和し、きれいなお肌を作る一助になればと、食生活からの美容のアプローチを提案したいと思っていました。調べていく中で、炎症にはオメガ3とオメガ6のバランスが大切だということを知り、オメガ3が豊富な亜麻の栽培に着手するようになったのです。
そうですね。本当に大変でした。はじめは亜麻自体を輸入して、国内で搾って製品化しようと考えていましたが、諸事情で輸入規制がかかってしまいました。それなら、いっそのこと国内で亜麻自体を栽培してしまおう!となったのが、亜麻を栽培するきっかけとなったのです。
そうと決まれば国内で、亜麻栽培用の種子を手に入れなければなりません。しかし、これが本当に大変で…!!種を入手しても、発芽しない種子があったり、花がさいても収穫時期や方法がわからなかったり。自力で栽培ができないなら専門家に聞いてみようと、繊維用の亜麻栽培の経験がある北海道の農家さんを訪ねて試験栽培をお願いしました。しかし、既にご高齢だったこと、除草も大変ということで、2年目は続けていただけず…、また違う農家の方を訪ねて…。
亜麻は本当に難しい植物で、栽培自体も難しく、さらに言うと収穫量が本当に少ない! 30㎏/10aや、全面破棄なんて年がザラにありました。
どうにか乗り越えたいと、オランダの種苗会社を訪れたり、道内の農業試験場に相談したりしたんですが、これといって解決法もなく、試行錯誤の連続でした。栽培をクリアしても課題は山積みで、収穫後の選別作業や搾油作業もすべて、亜麻専門でやっている方はいないので、農家さん、機械メーカー、搾油所の方々の協力を得ながら、一歩一歩の改善でした。やっとの思いで「油」にはできたのですが、苦みを抑える、酸化を防ぐには?無添加で仕上げるには?…もう課題の連続!!
結局企画発足から5年くらいかけてやっと製品化に目途が立ちました。
やっとゴールが見えてきたので、さっそくオメガ3の重要性について、まずは社内でも知ってもらおう!と意気込み、社員に亜麻仁油の素晴らしさについて話すようにしていたのですが、社内ではまったく盛り上がらない(笑)。困ったなー…と思っていたら、ある日社長に、「木村君は亜麻仁油の製品化をしていたなー。あれはすごくいいらしいね。でもオメガ3が豊富なだけではだめだ!トランス脂肪酸にも気を付けないと!!」とやたら熱く語られました。社内でオメガ3についてまったく浸透していなかったので、なぜ社長がご存じなのかと驚いたのですが、どうもその話をされた少し前に山田先生から油についてご教授いただいたみたいです(笑)。それで亜麻仁油の素晴らしさも知っておられたのでしょう。お恥ずかしい話、私はそのときは山田先生のことを知らなかったのですが、亜麻栽培に没頭していた私はぜひ、先生の講義を受けたい!と思ったのです。
…亜麻の話はこれぐらいにしましょうか、話し出すと終わらないので(笑)。
そうですね。初めは大手繊維メーカーの医薬品研究所で血液細胞の分化・熟成を促す因子の探索をしたり、薬の薬効や安全性の評価を担当しました。その後、医療画像機器メーカーでエコーやCT、MRによる予防診断や、さらには手術の立ち会いなどもしていました。いろんな経験をさせてもらえたのですが、いずれも病気になってから処置をするもの。現代の医療が予防的対策や根本治療に焦点を置いていないことに違和感を覚えていたのです。そして、病院の大部分が赤字経営という現行の医療制度についても限界を感じていましたね。
そんな経験から、もっと根本から健康を作る仕事がしたいと思うようになったのですが、そこから行きついたのが「食」で、食事のおおもとである「農業」を仕事にしようと決断し、周囲の猛反対がありましたが、東京から山梨に移住という一大決心をしました。そこから先ほどの亜麻の栽培に着手するようになったのですが、他にも色素米、霊芝、テンペなど機能性素材を探したり、商品化も担当していました。
仕事は有機栽培の研究と製品開発で大変やりがいがあり、充実していました。そんなある日、久司道夫先生直々にマクロビオティックの講義を受ける機会に恵まれたのです。私は今まで医薬品や食品成分相手だったので、マクロビオティックの“霊性”とか“陰陽”とかは、それは怪しい世界に見えましたが(笑) 久司先生がおっしゃった、「体も心もあなたが食べたものからできている」そこだけは直感的に納得しました。
それからはマクロビオティックと、いわゆる西洋医学、科学、この3つを結びつけることを自分なりに続けてきたのですが、どうも納得いかないことが多かったのです。
山田先生もよくおっしゃる「牛乳を飲むと乳がんになりやすい」は、マクロビオティックでも同様に考えますが、あまり科学的な根拠は伝えないことが多いので、「なぜ?」と聞かれれば、わかりづらいんです。「魚ばかり食べると、魚みたいに群れを成して生活するようになる!」などと、久司先生からは言われますので(笑)。でも、マクロビオティックをきっかけに生き方について学んだことは多かったですね。
しかし山田先生の講義は、カルシウム過多がいかに体にとって危険か、現代人にマグネシウムはなぜ必要か、タンパク質の摂りすぎがなぜ病気の原因になっているのか…など、ひとつひとつが納得できる内容ばかりでした。論理がきちんと科学に裏づけられていて、さらにマクロビオティックの理論にも同調している部分が多かったので、次々と霧が晴れていく感じでした。さらに亜麻仁油を栽培しながら、そのすばらしさを世に伝えたいと思っていた私にとって、亜麻仁油の健康効果を再認識できたことも大きかったです。
ファスティングについては、杏林アカデミーを受ける前に、3日程度のものは3、4回程したことはあったのですが、山田先生が小淵沢で開催されたファスティング合宿に参加したのをきっかけに、3日間の予定だったのを自分で1週間に延ばしてやろうと思っていたのです。そして1週間やってみたら、「あれ?まだできるぞ?」という感覚になり、「できるところまでやってみようか」という軽い気持ちでいたら、いつの間にか月日が経っていたといった感じでした。空腹感ははじめだけで、それがむしろとても爽快で、お腹の中の脂肪が使われているという感覚がよかったですね。
2週間目くらいから、そういえば最近片頭痛が来なくなったなー…という感覚はありました。それまでは、明け方頭が痛くなることが週に数回はありましたし、昼間でも激しく頭が痛み、片頭痛薬(トリプタン)を服用することもありました。ファスティング中に「そういや手元の薬が減っていないなー」と思ったのをきっかけに、「あれ?頭痛来てないぞ」と気づいたのです。ファスティングを終えてからは、3ヵ月程は野菜に穀類(サツマイモ)を加えたサラダばかり食べて過ごしていました。
体重も75kgから、65kgまで落ちました。なにより頭痛の頻度は本当に激減しまして、今でも昔の1/10程度ですし、薬の使用も数ヵ月に1、2回使用するかしないかです。以前なら、毎週1回は飲んでいましたから、劇的な改善です!
今は体重もちょっと増えたのですが、それでも薬を必要とするまで頭痛がひどくなることはほとんどないですね。近々またファスティングを始める予定でいますので、今度はきちんとデータを摂りながら、今後の資料として役立てたいです。私と同じように、片頭痛で悩んでいる方たちの身体的痛みだけでなく、社会適合性の困難さも含め、心身の両面から 頭痛患者さんのQOL改善を支援したいのです。全国840万人の片頭痛、3000万の慢性頭痛患者が救われますから。
頭痛持ちで生まれてきた私のミッションだと最近思うようになりました(笑)
私自身が長年の片頭痛患者であったから、わかるのですが、多くの方が薬での対症療法に頼っています。いえ、頼らざるをえないという表現が正しいでしょうか。しかし、それがかえって頭痛を慢性化させる原因にもなっています。
山田先生や杏林アカデミーとの出会いで 私の頭痛が治ったことは、大きな自信とヒントを与えてくれました。これからは、頭痛で悩む方に、食事、ファスティング、運動、メンタルなど、細胞環境デザイン学のアプローチを組み合わせて、頭痛を軽減し、薬に頼らない生活を送れるように、支援していきたいです。そのためにも、片頭痛は原因がわからない部分が多いので、まだまだ研究も勉強も必要ですし、指導法を確立していきたいですね!片頭痛になっている時は、非常に音に敏感で「静かにしてっ!」て、叫びたい気分になります。でもそんなときこそ、逆の発想で、頭痛が改善するような音楽もあるかもしれませんよね。これからますます山田先生には、ご指導をお願いする機会が増えると思っています!
座右の銘は『隻手音声』(せきしゅおんじょう)。
隻手とは片手のことです。両手を打たなければ音は出ないのに、片手から出る音を聴けという意味ですが、片手だけでは打つことはできません。いくら耳で聞こうとしても不可能です。しかし、音は耳で聴くものという固定観念を捨て去ってしまえば、なにか新たな世界が見えるかもしれません。常識や当たり前にこだわらず、思い込みから離れ、凝り固まらない。とても大切にしている考えです。
もう一ついいですか?同じような意味になるかもしれませんが、山梨に移住して2年目から、田んぼを借りて、米作りを始めました。全くの素人でしたが、見よう見まねで、始めた田植えなのですが、やはりよその田んぼが気になるのです。うちの田んぼとは、どうもなにか違うな・・・・と。心配になったので、田んぼの地主のおばあちゃん(3年前に他界)に「うちの稲は成長が悪いし、色も悪い。肥料を変えるべきか、水やりの仕方を変えるべきか…。どうしたもんだろう?」と相談しに行ったのです。すると、そのおばあちゃんは「稲とよく相談してみろし!」(甲州弁)と言うだけで、具体的なアドバイスはくれなかったのです。
稲はもの言わぬ自然相手。マニュアルなんかじゃ語りつくせないよ!と言われたみたいでした。しかし、何事も観察をしっかりすることの大切さや、自分で試行錯誤し、考えて、答えを感じることが大切なんだと気づきました。
うちの亡くなった父親は工務店を営んでいる大工で一級建築士でした。私が子供の頃は、見習いのお弟子さんが何人もいました。大工としての技を習得し、極め、道具の手入れもしっかりする。そして、材料となる木材を選んでいく。中には曲がったり、反ったりしているものもあるでしょう。目的に適った材を選ぶ目と使いこなす技がものを完成させていく。見事な「適材適所」ですが、この完成形を手に取る人たちは、この物にそんな背景があるなんて、想像もしないでしょう。
木材に語りかけ、目的にあったものを仕上げることができるのです、昔の職人はすごかった。私、若い頃は父の仕事が嫌いで後を継ぎませんでしたが、今、自分の中にある「ものづくり」へのこだわりは受け継いだものなんでしょうね。そして、職人が道具の手入れをしっかりするように、見えない日常の習慣を大切にしたい性分で、今後、人の健康を支える仕事をしていく中で、この“こだわり”が強い性分を生かしていきたいですね。
江戸職人の「粋」みたいに。
木村様が勤務されている、食と生活文化研究所はこちら